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呪われた森>大学の講義で「妖怪はいません」


大学の講義で「妖怪はいません」

京都学園大学で「妖怪」を研究している人文学部歴史文化学科の佐々木高弘先生へのインタビュー

Q、妖怪について研究している、と聞いたんですが……。いったい大学ではどんな授業をしているのでしょうか?
A、そうですね、ぼくはこういう風に授業をはじめています。「妖怪はいません」いや、妖怪なんていないですよ。もしカッパがいたら絶対動物園に入っているはずなんです。でも、もし本当に動物園にカッパがいたら、もうそれは妖怪とは言えないですよね。動物ですから。この世にいないから妖怪なんです。

Q、たしかにそうですね……。でも先生は妖怪を研究されているんですよね?
A、そうですね。妖怪っていうのは日本人の精神に深く根付いている、いや染み込んでいる文化なんです。

Q、文化……?
A、はい。花見や年末だって全部「妖怪」が関係しているんです。ゆっくり話しますね。そもそも妖怪というのは、もともと“現象”のことだったんです。変な音がしたとか、変なことが起こったとか、そういう現象のことを昔の人は「妖怪」と呼んでいました。妖怪というもの自体は古事記の頃から描かれていて、源氏物語でも出てくるんですが、それが室町時代ぐらいから「絵」として描かれるようになったんです。

Q、えっ、そうなんですね。じゃあ、妖怪というのは必ずしもあんなおどろおどろしい形をしているわけではない、と。
A、そうです。あれは絵師が、絵にしただけなんですよね。 科学が発展していなかった頃、不可解な現象が起こるとそれらはすべて妖怪の仕業だと、思われていました。たとえば、雨が降らないとか、疫病が広まったとか、そういうのはすべて妖怪の仕業だったんです。「なぜ日照りが続くんだろう?」「なぜ台風がくるんだろう?」と考えた時に、これは妖怪がやってきてるんじゃないか、と考えていたんですね。

Q、なるほど……。そういう悪い現象である妖怪たちと日本人はどう付き合ってきたんでしょうか?
A、これには日本人の独特の考え方があるんです。「妖怪」を彼らはどんな風に追い払っていたと思いますか?

Q、うーん……。鬼退治! とか聞くように、どうにかして退治するとか……?
A、いろんな方法がありますが、ひとつ面白い方法が、妖怪を神として祀った、ということなんです。妖怪は祀れば神になるし、祀らなければ祟りを起こす。昔、菅原道真っていう人がいたんですが……、

Q、あっ、学問の神様として知られている人ですね。
A、そうです。彼が神社に祀られるようになった経緯というのがあって。菅原道真は小さな頃から天才で、すぐに政治の階段を駆け上って大臣になったんです。けれど彼を貶めようとした人たちの仕業で、左遷されてしまう。そして菅原道真は死んでしまった、と。そのあとから、次々悪い事が起こるようになったんです。菅原道真を貶めた人たちが清涼殿っていうところで雨乞いの会議をしていたところ、黒い雲が迫ってきて清涼殿に雷が落ちて。みんな死んだんです。次いで、天皇も亡くなってしまった。そして各地でも不可解なことが起こり始めたんです。いろんな場所で女や子どもが何かに憑かれて。聞くと、「菅原道真だ、祀れ」と言っていると。こういうことが何度も起こるようになって、恐れた人たちは菅原道真を北野天満宮に祀ったんです。すると災いはスッと収まったんです。今でもわたしたちは彼を神様として祀っていますよね。つまり、妖怪は祀らなかったら妖怪のまま。祀ると神になって災いは収まる、と。

Q、なるほど……!神として大事にしなければいつでも祟りが起こるかもしれないということですね。うーん。退治ではなく「祀る」というのが妖怪を鎮める方法のひとつとは面白いですね。それにそんな風に「神」ができていくなんて、本当に多神教の日本ならではですね……。
A、そのとおりですね。菅原道真ほど畏れられていた妖怪は神になりますが、他の妖怪の追い払い方としては「妖怪をおもてなしする」というものもありますね。花見ってどうして行っていると思いますか?

Q、うーん……たしかに言われてみれば……。花見になるとお酒を飲んだりして騒いでいますが、あれって何故なんでしょう……?
A、お酒を飲んでご飯を食べて……不思議ですよね。じつは花見って、妖怪を「おもてなし」しているんです。昔、桜が咲く季節になると、虫が増えて疫病などが増えたんです。それを昔の人は桜の季節になると「妖怪がくる」と思ったんです。そこで日本人が思いついたのが山海の珍味を差し出して、お酒を振舞って存分に楽しんでいただいて、それで悪さをせずに帰ってもらおうという方法だったんです。だからわたしたちは、花見になるとその下に訪れる妖怪たちに酒を振舞っておもてなししているんですね。年末の大掃除や節分の豆まき、夏祭り、あの祇園祭なんかも、もともとはそういった「妖怪」をおもてなしするための行事なんですよ。

Q、他の行事も妖怪が関わっているんですか!
A、そうです。もうわたしたちは忘れてしまっていますが、年次行事の発祥は「妖怪」なんですよね。

Q、そうだったんだ……。それにしても「おもてなしして帰ってもらおう」というのもまた面白いですね……。
A、そうですね、人はあるべき場所にあるべきものがないから嫌がるんです。たとえば、庭に砂が落ちているときにはなんとも思わないのに、台所に砂が落ちていたらものすごく嫌な気持ちになりますよね。それに、つばが口の中にあるときはなんとも思わなかったのに、手についたらものすごく汚い!って思う。不思議ですよね、さっきまで舐めていたくせに(笑)妖怪も、あの世からこの世に来てもらったら困るけれど、あの世に帰ってくれたらいいと。そんな風に日本人は考えるんですよね。

Q、なるほど!だから「おもてなし」をして早く帰ってもらおう、ということなんですね。
A、そうです。わたしたちはそんなことをもう意識していないけれど、文化として根付いている。つまり妖怪とは日本の文化である、っていうことなんです。

Q、そういうことはどうして忘れられてしまったんでしょうか?
A、もともとは菅原道真のようにストーリーがあって何かが妖怪になるのですが、江戸時代になって1ページに1妖怪描かれた「妖怪図鑑」というのができたんですよね。1ページ目はカッパ、2ページ目は鬼、というようにストーリーの説明が省かれてしまって。それでわたしたちはいつのまにか「妖怪」をただの異形のものと思ってしまったんですが、文化だけは根付いて残っている、というわけなんです。

Q、知らなかった……。でも「祀ればOK」「おもてなしすればOK」という考え方ってすごく独特で面白いですね。これって日本人特有の考え方なんでしょうか?
A、そうなんです。日本人は物事を「正義」と「悪」の二極化で捉えず、真ん中で生きられるんですよね。神も祀っている間はいいもので、祀らなくなれば祟りがある、とかそういう風に「曖昧」に捉えることができる。

Q、そっか。たとえば何かが「正義」で何かが「悪」なら、「悪」は退治しようという考え方になりますけど、悪も正義も表裏一体であるという考え方ができているわけですもんね。今お話伺いながら思ったんですが、最近ヒットしていた映画『シンゴジラ』のラストもそうでした。ネタバレして怒られたら嫌なので記事ではラストは伏せますが……。ごにょごにょっていう最後だったんです。
A、なるほど!それもたしかに日本人らしい思想ですね。海外の人は、この「真ん中をとる」という考え方を不思議に思うようです。『もののけ姫』が海外で上映されたとき、「誰が悪い人で誰がいい人なのかわからなくてどう見たらわからない」という声があがったんだそうです。

Q、たしかにシシ神はいい生き物なの?悪い生き物なの?が一言では語れないあたりが、日本人の思想らしいってことなんですね。でもどうして外国の方はその「曖昧さ」をうまく受け入れられないんでしょうか?
A、これには唯一神の考え方が関係しているんだと僕は思います。多神教のように、いろんなものを受け入れられていればいろいろな考え方を共存させられます。今世界中でテロが起こっていますけど、あれは唯一神ならではの「正義」と「正義」のぶつかり合いですよね。彼らは一方が正義であれば一方は悪なんです。こうなると紛争はいつまでもなくならないですよね。実際に海外では今そういった「多神教的な考え方」をなんとか取り入れられないかと研究しているところもあるんだそうです。もともと戦後間もないマッカーサーの時代には、「多神教は幼稚な考えで、“自我の確立ができていない”」と考えられていたんです。というのも、キリスト教以前には世界は「神々」のものだったのに、それが統一されて「唯一神」という考え方がされるようになったという歴史があるからです。こんな風に統一されていないのは、自我が確立されていないからだ、幼稚だ。と昔は考えられていたんですね。でも今ではそれがすっかり変わって「多神教的考え方を取り入れられないか」と研究されている。日本人の思想がどれだけ独特で、海外に注目されているかがよくわかりますよね。

Q、面白いですね……。でも本当にそういう考え方が海外にも根付くんでしょうか?
A、うーん。どうでしょうね。だいぶかけ離れた考え方ですから。「悪い災いを起こしたもの」を神として祀るのは海外の人にはかなり独特にうつるかもしれませんしね。でも僕は靖国神社への参拝も、こういった日本人らしい思想からきていることだ、と思っていますね。神として祀ることで、後世に平和をもたらそうとするというか。

Q、こういう思想を、わたしたち日本人がもっと知っていればこの「良さ」を海外に広めていけるかもしれませんね。
A、そのとおりです。妖怪と少し離れた話のように感じたかもしれませんが、日本人の思想という意味では「妖怪を知る」ことでようやくわかることがあるんです。わたしたちが「無意識」でやっていたことを、もっと意識的に理解していけたら、世の中はもう少し平和になるかもしれないですね。

Q、そろそろ取材も終盤ですが、先生は今後どんな研究をしていきたいと思っていますか?
A、うーん。妖怪って「いない」んですけど、なぜ人って妖怪について語るんだろう、と僕は不思議に思っていて。

Q、たしかに。いないのに、古事記の時代からいままでずっと語り継がれて、最近では『妖怪ウォッチ』に形を変えてまた根付こうとしていますよね。
A、そうです。しかも全部「妖怪」を意識してないですよね。子供たちも不思議がらずにアニメを受け入れ、花見や年末行事もすべて不思議がらずに、でも続いていっている。じゃあ、誰が人に、妖怪のことを語らせているのか。と。ぼくはね、これが「景観」のせいではないか、と思っているんです。つまり「場所」とも言えるんですが、特定の「場所」に来ると、人は無意識にある行為に出てしまうのではないか、と考えているんです。「人」について研究しようと思ったらその人が生まれた時から死ぬまでを研究すればいいですよね。でも、「場所」について研究しようと思ったら、そうはいかない。古代からこの場所にずーっと誰かが住んで、何かが起こって、ずっと蓄積されて、今ここに我々がいる。その歴史をすべて解き明かさないと「土地」はわからないんです。言い方を変えると、場所は過去を記憶しているんじゃないか、と僕は思っているんですよね。

Q、場所が過去を記憶している……。
A、そうです。よく思い出してみてほしいんですが、たとえばとある場所で神聖な気持ちになったり、攻撃的な気持ちになったり、エネルギッシュな気持ちになったりすることってないですか? 落ち着く、とかでもいいかもしれません。もっと言えば、大きな事件とかが起こった場所というのは地理学的に土地を見ていくと、何か昔に悪いことが起こった土地だったりすることはよくあるんです。もちろん解明はされていませんが、僕はこういうのは、場所が何かの影響をもたらしているんじゃないか、と思うんです。

Q、たしかに、パワースポットとかってそういうものですもんね。古くから神聖な場所であれば、たしかに人みたいな小さなものが影響されるのも不思議ではないような気がします。逆も然りで、悪い影響を受けて事件が起こるというのもあるのかもしれないですね……。
A、そう。そして、本題の「なぜ人は妖怪を語るのか」ということについても、「ある場所」に来ると人は何かを語らずにはいられないのではないか、と。土地に根付く妖怪たちが、僕らに妖怪を語らせているのではないかなと思うんです。ちょっと不思議な話に聞こえたかもしれませんが、なにかそういうことを解明できたらいいなぁと僕は思っていますね。

Q、それがわかったらすごいですね……。とはいえ、とっても難しそう。
A、そうですね。妖怪を研究しようと思ったら、かなり多くの理論が必要なんです。まだまだ遠い道のりですが……、いつか解明してみたいと思っていますね。

Q、何かが妖怪を語らせているのだ、とすると先生ももしかしたら何かによって妖怪を語らされているのかもしれませんよ。
A、そうかもしれないですね。よく考えたら僕はなんで妖怪という異形のものを信じていないのにこんなに妖怪のことを研究しているのか、自分でもわからないんです。

(出典参考 京都学園大学)
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